言わずと知れた、金屏風事件

それは、今から約31年前の1989年12月31日に起きました。

事の発端は、遡る事半年前の7月11日、当時23歳だった中森明菜さんが、当時24歳だった近藤真彦さんの自宅で自殺未遂を起こしたのです。

浴室に血まみれで横たわる中身明菜さんを仕事帰りの近藤真彦さんが発見。

明菜の自傷状態は左肘内側に深さ2センチ、長さ8センチの深いもので、神経に達するほどの重傷だった。すぐさま慈恵医大病院に運ばれ、6時間にも及ぶ手術の結果、一命を取り留める。
https://www.jprime.jp/articles/-/19368

すでに6年間も交際していましたが、2人の間ではかなり温度差があったようです。

さらに、中森明菜さんが自殺未遂を図った理由として、

  • 中森明菜はすぐにでも結婚したかったが近藤真彦はそうでもなかった
  • 中森明菜が結婚後の新居のために蓄えていた8,000万円を、近藤真彦が自身のカーレースに使い込んだ
  • 中森明菜の最大のライバルであった松田聖子が近藤真彦とのニューヨークでの密会キス写真を写真週刊誌に掲載された

というものが挙げられます。

特に松田聖子さんと近藤真彦さんのスクープが決定的な要因だったようです。

松田聖子と近藤真彦のキス密会写真松田聖子と近藤真彦のキス密会写真<引用元:ヤフオク>

自殺未遂後、約半年間も表舞台から姿を隠していた中森明菜さんでしたが、同年12月31日の大晦日の夜10時過ぎに緊急復帰会見を行なうことに。

その会見の内容が世間を騒がせた事、そして会見場のバックに金屏風があったことから、後に”金屏風事件”と語りつがれる事になります。

当初、金屏風もあることから、会見の内容は婚約発表会見ではないかと噂されました。

ですが、会見の中身は以下のように婚約発表とは正反対のものでした。

  • 近藤雅彦は「復帰会見のお手伝いができたことに喜びを感じている」と他人事
  • リポーターからの「結婚は?」の質問に「そういうことはまったくありません」と中森明菜との交際を否定
  • 2人は“友人として”握手をするという形で会見を終える

会見で中森明菜さんは、自殺未遂の理由を仕事上の人間関係が原因としながらも、「一番最初に見つけてほしかった」と近藤真彦さんへの思いを話していました。

彼女自身も、婚約発表会見だと言われて公の場に出てきたという話もあります。

明菜自身、“マッチとの婚約発表会見だ”といって引っ張り出されたという話もあるだけに、人間不信に陥るのも無理はないでしょう
https://www.cyzowoman.com/2019/07/post_240459_1.html

  1. 近藤雅彦と松田聖子との密会やお金の使い込みにより中森明菜が自殺未遂
  2. 婚約発表会見と言って引っ張り出されるものの正反対の内容だった
  3. 会見場のバックに金屏風だったこと、衝撃の内容に”金屏風事件”と呼ばれるようになった
  4. 深い傷を負った中森明菜んは、芸能界の表舞台から姿を消していく

この一連の報道はあくまでも、週刊誌などが情報源ですし、真偽は不明です。

ですが、30年も語り継がれているものなので、このイメージが近藤雅彦さんのイメージと言っても過言ではありません。

”クズ”と思われてしまうのには十分なエピソードだったと言えるでしょう。

クズエピソード②2014年のカウコン”マッチ事件”

2014年のカウントダウンでは、「マッチ事件」というある意味伝説的事件があります。

近藤真彦さんは、ちょうどデビュー35周年を迎えたアニバーサリーイヤーでした。

例年デビューの周年を迎えたグループが多めに曲を歌うのが恒例で

2018−2019のカウコンでは、20周年の嵐が3曲メドレーを披露しました。

ところが、2014年は、ジャニーズファンにもほぼ認知されていないの新曲「Let’s Go!」をハーレーに乗って登場しながら熱唱

そこからマッチメドレーがなんと15曲も披露されたそう。

ソロコンサート並みにカウコンをジャックしたそうです。