2020年7月18日、三浦春馬さんがお亡くなりになられました。
死因は自殺。
遺書には「死にたい」とあったそうです。
30歳という若さで、彼にはどんな苦悩があったのか、今となってはもう知ることができません。
そんな彼は、以前から子役として活躍していますが、幼い頃に両親が離婚。
母親は再婚しいますが、現在は一家離散状態のようなのです。
一見華やかそうに見える彼の俳優業の裏に、人知れず抱えていた闇があったのかもしれません。
今回は、三浦春馬さんの生い立ちについて調査しました。
三浦春馬のプロフィール
まずは、三浦春馬さんの簡単なプロフィールから見ていきたいと思います。
氏名 | 三浦春馬(みうら はるま) |
---|---|
生年月日 | 1990年4月5日 |
出身地 | 茨城県土浦市 |
事務所 | アミューズ |
身長、血液型 | 178cm、AB型 |
学歴 | 土浦市立真鍋小学校
土浦市立土浦第二中学校 堀越高等学校 |
4歳の頃から「児童劇団のアクターズスタジオつくば校」に所属。
1997年、NHKの連続テレビ小説『あぐり』で子役としてデビューしました。
2007年に映画『恋空』で第31回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞すると一躍有名に。
2008年、『ブラッディ・マンデイ』では連続ドラマ初主演を果たしました。
以降、イケメン俳優として様々なドラマや映画に出演し、活躍されていました。
家族は、父親・母親・三浦さんの3人家族。
父親:笹本賢一
母親:笹本真弓
息子:三浦春馬(笹本春馬)
幼い頃に両親は離婚し、母親に引き取られた後、中学生の時に母親が再婚。
3人家族となりました。
では、早速三浦春馬さんの複雑な生い立ちを見ていきましょう。
三浦春馬の生い立ちが壮絶!
幼少期の両親が離婚
三浦春馬さんは、茨城県土浦市出身。
幼少時の写真がありましたが、目がくりっとしていて本当に可愛らしいですね。
既に整っていて、大人になった三浦春馬さんの面影もありますね。
そんな三浦春馬さんですが、ご両親は幼少期に離婚しています。
その後、母親である三浦真弓さんに引き取られ育っていきました。
母親はホステスだった?
こちらはあくまでも噂のため、真偽は定かでないのですが、三浦さんの母親は「ホステス」だったとの噂があります。
画質が鮮明ではありませんが、ぱっと見てもとても美人なお母さんということがわかります。
離婚後、再婚するまでは母子家庭だったので、生活のためにもホステスをされていたのかもしれません。
※後述しますが、再婚後は、再婚相手の夫と一緒にバーを経営していたので、そこから「ホステス」という噂が広まった可能性もあります。
母親がアクターズスクールに入れて子役デビュー
三浦さんは、4歳の頃からアクターズスクール「児童劇団のアクターズスタジオつくば校」に所属していました。
きっかけは、三浦さんの母親がスクールに応募したこと。
三浦さんは一人っ子なで、いつも1人で遊んでいるような幼少期を過ごしており、そのことを心配した母親が応募したんだそう。
他の子どもとも触れ合うような場を作ってあげたいという、なんとも息子想いなお母さんなんでしょうか。
応募の結果、見事に合格。
三浦さんは、芸能界入りを果たします
そして1997年、三浦さんが小学1年生の時に「連続テレビ小説 あぐり」で子役デビュー。
子役デビューといっても、本人曰く
電車の乗客で、主人公からおにぎりをもらうというだけの役で、 エキストラの中で使われた
ということで、あくまでもエキストラ的な立ち位置だったそうです。
中学生の時に母親が再婚、キッチン&バーSaSaを経営
そして、三浦春馬さんが中学生の頃に母親が再婚し、3人家族になります。
義父である笹本賢一さんは、三浦さんをとても可愛がっていたそうで、関係は良好だったそうです。
中学生という多感な時期で、男の子なら尚更ギクシャクしそうなところですが、上手くやれていたのはいいことですね。
そして、両親は2人でバーの経営をすることになりました。
お店の名前は、「キッチン&バー SaSa」
「SaSa」は、笹本の「ささ」を取ったのでしょうか。
2007年当時のローカル雑誌にお店の紹介が載っていました。
アットホームな雰囲気で、とても親しみやすそうですね。
この雑誌には、ご両親の顔もいっしょに掲載されていました。
やはり素敵なご夫婦に見えます。
そんなとても雰囲気のいい「SaSa」ですが、現在は閉店しています。
閉店理由は明らかではないですが、その後に繋がる一家離散に関係しているのでしょうか。
中学の卒業アルバムは「笹本」
中学の卒アル写真には、「笹本春馬」と記載されています。
三浦春馬という名前は、芸名のようですね。
ですが、4歳の頃にデビューした時は、母親の姓である三浦を使っており本名だったそうです。
芸名を本名に変えないのは、何か複雑な事情があった、というわけではなく、
中学時代から既に様々な作品に出演していたため、単純に途中から名前を変えるのも大変だったからのようです。
父親と仲が悪いから、というわけではなさそうなので一安心ですね。
息子想いの母親だった?
母親の笹本真弓さんは、子役の頃から三浦さんの仕事の現場にも付いてくることもなく、演技なども一切口出しをしなかったそうです。
ただ、三浦さんが落ち込んでいる時には、
大丈夫だよ
と言って、静かに支えてくれるお母さんだったそうです。
ところが、三浦さんの高校進学の際、実家を離れることを相談したとき、母親に初めて反対をされたそうです。
最終的には、寮のある堀越高等学校へ進学することができたそうですが、母親からすると、実家の茨城からでも通おうと思えば通える範囲ですよね。
女手ひとつで育ててきた1人息子が離れていくのが何より寂しかったのでしょう。
苦渋の決断で料理のレシピを渡して送り出したのでした。
高校卒業後は多忙を極め、役者としての自信喪失
高校に入学してからは、一気にブレイク。
2006年に『キャッチ ア ウェーブ』で映画初主演を果たすと、同年ドラマ『14才の母』でヒロインの恋人役を演じ、注目を集めます。
ドラマ『14才の母』より
2007年、映画『恋空』で第31回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞。
映画『恋空』より
2008年には『ブラッディ・マンデイ』で連続ドラマ初主演。
ドラマ『ブラッディ・マンデイ』より。
高校卒業後は2009年10月期の『サムライ・ハイスクール』、2010年1月期の『ブラッディ・マンデイ Season2』と、2クール続けて連続ドラマの主演を務める快挙を達成。
当時、若手俳優では異例のことだったそうです。
そんな多忙を極めた三浦さんは、その時の心境を2012年放送の「ホンネ日和」という番組の寺脇康文さんとの対談で語っています。
「役者としての限界を感じた」
ということで、あまりの多忙に追い詰められ自分の許容範囲を超えたと語っていました。
当時楽屋、「役者はやめる。農業への道に進もう」と決意したそうで、農業学校につて調べていました。
ですが、結局は母親に説得されて俳優を続けることになりました。
その後、2020年にお亡くなりになるまで、10年以上も自信の「俳優業」について、人生について、悩み続けたのでしょう。
母親からの説得とローン返済
先ほど、農業の道へ進むと母親に相談したら説得された、と記載しましたが、どうも両親の家のローンや生活などが関係していたようです。
10年前に出演した『さんまのまんま』では、仕事を辞めたいと思ったことを語っていました。
さんまさんが「親にも言った?」と聞くと、口ごもりながらも「親には言っちゃいました」と返答します。
親には「この家はどうすんだ?」みたいな感じで言われた?とさんまさんが問うと「まあ、そんな感じです」とも。
実際に、当時の三浦さんは毎月仕送りをしていたそうですし、やはり両親の生活をずっと支えてきたのかもしれません。
本当は俳優業を辞めたい、けれど両親が息子を頼りに生活しているためそれもできない。
そんな葛藤がずっとあったのかもしれません。
『さんまのまんま』での親に関するシーンは、時折口籠る姿があり、見ていてこちらも辛いものがありました。
母親はスピリチュアル系にハマっていた?
さらに、母親の笹本真弓さんは、スピリチュアル系にハマっていたという噂もあります。
母親にもらったエコパラダイスペール
以前、三浦春馬さんの自宅で「エコパラダイスペール」というものが紹介されました。
お母さんにもらったものだそうで、お茶を沸かす際にもこのバケツに入れてから沸かすそうです。
プレマ社という会社の商品で、生ゴミを入れても全くにおいがしない不思議なポリバケツで、
生成過程で抗酸化溶液という特殊酵素を混入し、腐敗の原因となる酸化を防ぐそうです。
さらに、バケツにおたまじゃくし入れると、カエルにならずにずっとおたまじゃくしのままだったり、太陽に当てたりすると水が美味しくなる、ということなのだそうですが、
少し疑ってしまいたくなるような怪しい売り文句に感じます。
※否定しているわけではありませんし、何を信じるかは個々の自由ではあると思います。
母親に飲まされていたジェイソンウィンターズティー
先ほど紹介した、両親が経営していたキッチンバーの紹介記事を注視すると、
お店の紹介と思いきや、大部分をジェイソンウィンターズティーが素晴らしさが語られています。
それもちょっと怖いくらいに。
この記事を要約すると、
- 友人の勧めで、毎日2〜3Lほど飲み始めたら弱かった身体がとても元気になった
- 夫(賢一さん)も息子(三浦春馬さん)もペットも愛飲
- 食後のサービスで提供したり、茶葉入りのカレーとして提供
- ジェイソンウィンターズティーのお茶会を月一で開催
- 魚の生臭さを取るのに活用、油汚れも落ちやすくなる
すごい効能ですね…。
では、一体ジェイソンウィンターズティーはどんなものなのかというと
効能としては、以下の通り。ちょっと怪しい匂いがします。
- 癌が(治る)
- 利尿作用
- 血液浄化
- うつ病が(治る)
- 肌がきれいになる
信じてそれで救われるのであれば別にいいとは思いますが、30袋で6,000円程度と結構高額です。
おそらく、このお茶だけではないようですし、続けるのも大変なんじゃないでしょうか。
これは憶測になってしまいますが、こういったスピリチュアル的な要素のあるものって結構高いですし、色々な商品を買うようになってくると思います。
こういったものも三浦さんの支えがあったのかもしれません。
バー閉店後は一家離散
さらに衝撃的なのは、一家離散していたこと。
土浦の実家には、20年前の2000年頃に引っ越してきて母親、義父、祖母(笹本真弓さんの母親)、三浦さんの4人暮らしだったそうです。
ところが2020年現在、その家は誰もいる気配がなく、もぬけの殻なんだそうです。
なんでも、2017年頃に母親と祖母は荷物をまとめて土浦から出ていってしまったそう。
また、義父も今年に入ってからは出て行ってしまいました。
義父は、月1回ほど定期的に掃除に訪れているものの、母親と祖母の行方は不明のようです。
中学生の時に再婚して、家族の関係も良好だったにも関わらず、最後はこのような結末になるなんてとても悲しいことですよね。
近年は酒に溺れていた?
https://mdpr.jp/news/detail/2149297
報道によると、ここ数年は酒量が増え、一人でも飲み歩くようになっていたそう。
「一人で飲みたい」と言うこともあり、友達と飲んで別れた後、一人でバーに行くこともあったみたいです。
友人の証言によると、2年ほど前から仕事以外の私生活で悩みを抱えていたという話もあり、その頃から人付き合いを避けている様子もあったそうなんです。
今まで三浦さんの生い立ちを見てきましたが、人知れず大きな闇を抱えていたのかもしれません。
唯一無二の家族という存在が、一家離散という形になるなんて誰が想像できたでしょうか。
享年30歳の若さで亡くなる
三浦春馬さんは、2020年7月18日、30歳という若さでお亡くなりになりました。
「自宅マンションでのクローゼット内で首吊り自殺」とのことです。
遺書が残されており、そこには「死にたい」というような内容が書かれていたそうですが、亡くなる前日まで収録はあったそうで、そこでも特に変わった様子はなかったそうです。
今後も、歌手として8月に新曲「Night Diver」の発売が決まっていたり、
9月からはドラマ『おカネの切れ目が恋の始まり』の出演が決まっていたりととても順調だっただけに、驚きが隠せません。
三浦さんは、生前日記を付けていたようで、もしかするとそこに苦悩の日々が記されていたのかもしれません。
専門家によると、自殺をしてしまう人の心理状態は、「もう死ぬしかない」という状態になっているんだそうです。
そして、ほとんどが精神科で病名がつくほどの鬱状態なんだとか。
三浦さんの場合、
- 真面目な性格であること
- 俳優という自分を封じて他者を演じることが得意なこと
から、表面上には見えてこない心の闇が存在したのかもしれません。
まとめ
今回は、三浦春馬さんの幼少期からの生い立ちをまとめました。
現在の一家離散状態も三浦さん自身が思うところもあったのでしょうか。
何が三浦さんを自殺に追い込んだのかは定かではありませんが、小さな変化に気づくことができたら、何か変わっていたのかもしれません。
ご冥福をお祈りいたします。