2025年6月3日ミスタープロ野球と称された長嶋茂雄氏の
訃報が伝えられました。
日本中を熱狂させた伝説の男、
そこで今回は若き日のスター時代から、
監督としての奮闘、そして現在の姿までを振り返ります。
野球少年がスターになるまで
長嶋茂雄は1936年、千葉県に生まれました。
子どもの頃から野球に夢中だった彼は、立教大学に進学後、
その卓越した打撃とスター性で一気に注目を集める存在に。
当時の大学野球は大人気で、長嶋が打席に立つたびに観客がどよめいたと言います。
1958年:読売ジャイアンツに入団
https://x.com/robert71291767/status/826006317533769728
1958年、プロ野球・読売ジャイアンツに入団。
開幕戦の4打席4三振という衝撃のデビューとは裏腹に、その後は怒涛の快進撃。
・ルーキーイヤーから打率.305、ホームラン29本の大活躍
・天覧試合でのサヨナラホームランは昭和の名場面の一つ
・「打って、走って、守れる」三拍子揃ったプレーに観客は魅了された
“長嶋が打てば巨人が勝つ”と言われるほど、絶大な存在感を放ちました。
1961年:絶頂期と「ON時代」
長嶋茂雄のキャリアのハイライトの一つが、王貞治との「ON砲」。
二人は長年にわたりクリーンナップを担い、V9という前人未到の記録を達成します。
・1961年 首位打者・打点王・MVPを獲得
・1971年 引退後も「ミスタージャイアンツ」として語り継がれる
その華やかなプレースタイルと明るいキャラクターは、野球を超えて“国民的ヒーロー”と呼ばれる存在に。
1974年:現役引退し監督
https://number.bunshun.jp/articles/-/12136?page=3
1974年、現役を引退した長嶋は、そのままジャイアンツの監督に就任。
選手としては超一流でしたが、監督としては苦労も多く、
最初の数年は思うように結果が出ませんでした。
しかし1993年、再び監督に就任した際には、
若手の育成とチーム作りに力を注ぎ、1994年には悲願のリーグ優勝を果たします。
現在
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250603/k10014824071000.html
2004年、脳梗塞を発症してからは公の場に出る機会は減りましたが、
それでも国民的な関心は薄れません。
・2013年、松井秀喜との「国民栄誉賞」ダブル受賞
・2020年代も、イベント出演などで元気な姿を見せることが話題に
その姿を見たファンからは「元気でいてくれるだけで嬉しい」
「長嶋さんがいなければ今の野球人気はない」と感動の声が寄せられています。
まとめ
今回は長嶋茂雄の若い頃から現在をまとめました。
御冥福をお祈りいたします