2019年のM-1グランプリで決勝戦進出、さらに2020年のキングオブコントでは準優勝に輝き、今ノリに乗っている「ニューヨーク」。
昨年の前回大会は、残念ながら最下位&審査員の松本人志さんから「ツッコミが好みじゃない」と言われてしまいましたが、2020年もM-1の決勝に進出。
松本さんに認めてもらい、悲願の優勝なるかということで注目を集めています!
さて、今回はそんなニューヨークのツッコミ担当である屋敷裕政(やしき ひろまさ)さんの過去について調査しました。
ニューヨーク屋敷裕政は同志社大学出身!
三重県出身の屋敷さんですが、大学は京都の同志社大学へ進みました。
大学では、文学部社会学科メディア学(現社会学部メディア学科)を専攻していました。
同志社大学といえば、偏差値60〜62と関西の私大でトップ。
屋敷さんは推薦ではなく、一般受験で入学されたということで、とても優秀なことが伺えますね。
卒業生も有名人が多いことでも知られています。
- 生瀬勝久さん
- 岡崎体育さん
- レイザーラモンHGさん
- 百田尚樹さん
- カズレーザーさん
もしかすると、今後インテリ芸人としても活躍する可能性があるかもしれませんね!
なぜ漫才サークルではなくテニスサークル?
大学入学後は、テニスサークル「SMASH(スマッシュ)」に入りました。
ちなみに相方の嶋佐さんも神奈川大学の「WIN(ウィン)」というテニサーに所属していました。
お2人も1986年生まれで30代半ば。
ちょうどテニサー黄金期という感じで、とても華やかだったことが想像できます。
ですが実は、最初はテニサーではなく、「喜劇研究会」に入ろうとしていたのです。
大学時代の屋敷さんは、学際でメイプル超合金のカズレーザーさんとさらば青春の光の東ブクロさんがコンビを組んでいて、「フルハウス」の漫才を観客として見ていまいた。
そこで、二人の所属していた喜劇研究会に入ろうとしましたが、部員に
「俺らめちゃくちゃタバコ吸うけどそれでも良ければ」
と言われ、それが面白くないと感じ、テニスサークルに入ったということのようです。
大学時代は遊び人でチャラ男だった?
テニスサークルと聞くと、勝手なイメージですが、”遊び人”なのではないかと思いますよね。
大学時代の写真を調べてみると、本人がやっているYouTube動画内に写真がありました。
爽やかなイケメンという感じで、チャラい感じはしないですね。
テニサーでも実態は飲みサーだったりする場合もありますが、屋敷さんが所属していたテニサーはガチのテニスサークルだったようです。
夏は朝の7-9時、14-16時で練習していたそうです。
また同志社大学には当時テニスサークルが100くらいあり、夏にあるDTL(同志社テニスリーグ)で優勝することを目標に練習していたようです。
遊び人だったわけではなく、真剣にテニスに取り組んでいたということですね。
ニューヨーク屋敷裕政の卒業後はテレビ制作会社でAD!
屋敷さんは、大学卒業後にすぐに芸人になったわけではなく、
テレビ制作会社でADをしていた経験がありました。
AD時代には、「ネプリーグ」や「鉄腕DASH」などを担当していました。
元々、興味があったのがテレビやバラエティの世界ということで、大学もメディア学専攻。
ある意味、一度目の夢を叶えたということですからすごい努力ですよね。
ところが、ADとして入社して楽しかったのは「1週間だけ」で、その後はADの仕事の大変さを痛感することになりました。
結局、ADの仕事はたった1年でやめてしまったそうです。
僕がADをしていた時、仕事が嫌すぎで急に思い立ってM-1三回戦の当日券を買ってルミネに見に行きました。
その時にトップバッターで囲碁将棋さんが出てきて、この漫才をしていました。
「何じゃこの普通の会話みたいな雰囲気の漫才!めっちゃくちゃおもろ!!」と衝撃を受けたのを鮮明に覚えています! https://t.co/7C4N72Pr6x— ニューヨーク 屋敷 (@NYyashiki) May 23, 2020
AD時代の苦労エピソードも少し紹介したいと思います。
- 山手線の田端駅に住んでいて、沿線の大塚駅を通るたびに、その時の直属の上司の名前が「大塚さん」で、文字を見るだけで恐怖が蘇ってきた
- 西表島で干潮の時にだけ出現する座礁船があり、その撮影をするのに一人で追撮していたところ、満潮になってしまい、船の先端で夜中に6時間じっとしていた
- ロケの時には、ロケ5日前から家に帰れず睡眠時間もほぼなかった
ちなみに、上司の大塚さんとは、現在はお笑い芸人と演出家の関係になって、仲良くしているそうです。
ADから芸人を目指すきっかけ
そんな、過酷な社会人生活を送っていた屋敷さんですが、芸人を志すきっかけは何だったんでしょうか。
順調に働いて出世した未来を想像したときに、なんかテンションが上がらなかったんです。ということは、一番やりたいことではないんだなと思って。じゃあ一番やりたいことはなんだろう? と考えたら芸人だったんです。
引用元:https://mainichi.doda.jp/article/2019/11/28/1749.html
今歩んでいる道は、一番やりたいことではないということに気づいたということですね。
また、同インタビュー内で、芸人になるきっかけとなったエピソードを話されています。
当時、仕事の空き時間に個室ビデオに行くのが楽しみだったんです。ある日、個室ビデオでAVを観た後に、M-1グランプリの舞台裏を集めたDisc2を観ていて。そうしたら急に涙が溢れてきちゃって。「あかん、俺はこっち側に行きたい!」と思ったんです。
引用元:https://mainichi.doda.jp/article/2019/11/28/1749.html
社会人になってふと立ち止まったときに、やりたいこと・なりたいものがクリアになったようです。
そこから辞表を出そうと決意しますが、一つ上の先輩が突然、
「実は俺、芸人を目指そうと思っているんだ。」
と言い出したため、そこから3日間ほど辞めたいけど辞めれない日々が続いたそうですが、上司に思いを伝え、NSC東京校の15期生として入学し芸人を目指しました。
芸人としてネプリーグにも出演!
ADとして関わっていた「ネプリーグ」には、芸人になってから出演しています。
「芸人になって一番の憧れが『ネプリーグ』に出ることだった」と出演した時の喜びを語られています。
AD辞めて芸人になるって決めた時、いつか絶対出たいと思ってた。
12年かかったけど、ようやく夢が叶った! pic.twitter.com/1MWsEzDqgQ
— ニューヨーク 屋敷 (@NYyashiki) November 14, 2020
ADという夢を一つ叶え、さらに本当にやりたかった芸人という夢も叶えた屋敷さん。
コロナ禍の中、版画を始めており、芸術の才能も開花していますよね。
今後もどんどん活躍の場を広げていきそうですね。
ニューヨーク屋敷裕政のプロフィール
名前 | 屋敷裕政(やしき ひろまさ) |
---|---|
生年月日 | 1986年 03月 01日(2020年12月現在34歳) |
血液型 | A型 |
出身地 | 三重県 |
趣味 | ADモノマネ、空手二段(高校時代東海大会で優勝)、顎にペットボトルを貼り付ける、版画、三味線 |
ニューヨークは2010年結成のコンビで、同期は、おかずクラブや横澤夏子。
特技は空手で、2段と言う有段者なのですが、相方の嶋佐さんも空手の有段者なので、コンビそろって空手が得意のようです。
また、趣味の1つに「版画」がありますが、これは新型コロナウイルスの自粛期間中に始めたもので、『ヤシキ版画展2020』を開催するほどの腕前なんです。
まとめ
今回は、ニューヨークの屋敷裕政さんの過去について調査しました。
一度社会人として働いていたにも関わらず、芸人になろうと決めた覚悟がすごいですよね。
今後お色々な場所で活躍されるでしょう。