瀬古利彦さんには、4兄弟の息子さんがいらっしゃいます。
全員が男の子で、賑やかな家庭だったことが想像できますが、
それぞれどのような道を歩んでいったのでしょうか?
今回は、瀬古利彦さんのご家族についてまとめました。
瀬古利彦の家族構成まとめ
瀬古さんの家族は、以下の6人家族。
- 本人:瀬古利彦
- 妻:美恵
- 長男:昴(すばる)1986年生まれ
- 次男:亜士武(あとむ)1989年頃生まれ
- 三男:天哩(てんり)1992年6月28日生まれ
- 四男:聖醐(しょうご)1997年頃生まれ
4人全員男の兄弟なんて、とても賑やかで楽しいでしょうね。
そんな息子たちには、様々なエピソードがありました。
一人一人見ていきたいと思います。
瀬古利彦の長男:瀬古昴はガンと闘病し他界
瀬古さんのご長男の昴さんは、慶應義塾大学出身。
大学では、「環境サークルCUE」に所属し、エコ活動を積極的に行っていました。
大学卒業後に就職しましたが、1年後に「ピースボート 地球一周の船旅」に参加しています。
彼のインスタグラムには、当時の写真がたくさん掲載されており、この時の思い出に思いを馳せていたのだなと感じます。
というのも、2021年4月13日にホジキンリンパ腫によって亡くなられています。
闘病生活は実に9年にも渡りました。
ホジキンリンパ腫とは?
血液のがんの一種で、リンパ節の中でリンパ球ががん化してしまう病気。
昴さんに自覚症状が出たのは、世界一周旅行から帰国した翌年の2012年のこと。
胸の痛みと、せきが止まらなくなったのが始まりだったそうです。
ホジキンリンパ腫だと診断されて以来、化学療法、骨髄移植、放射線治療と、様々な治療を受けてきました。
「そろそろ寛解」というタイミングでまた腫瘍が増殖して入院が必要になったりと、入退院を繰り返してきたそうです。
そして、2020年年始には、脳にガンが転移していることが発覚。
さらに、肺にもカビが生えてしまい、3カ月の入院を余儀なくされました。
せきとたんに苦しみ続け、抗生剤も抗真菌薬も、なかなか効かず、諸事情でコロナ病棟に入ってしまうこともあったそうです。
祖母との交流が闘病生活の支えだった
何度も命の危機をくぐり抜けてきた昴さん。
そこには、86歳(2021年12月時点)になる認知症の祖母の存在も大きかったと言います。
祖母は、10年ほど前から認知症で、以前は小さいことを気にするタイプでしたが、現在はよく笑うようになり、本当に幸せそうなんだとか。
祖母は何でもすぐ忘れるため、クイズを出すと、予想外の答えが帰ってきたりして、ツッコミがいがあり、とにかく笑えるということで、
入院している時は、1日に3、4回は祖母に電話をしていたそうです。
ちなみに、電話する時には以前のことを忘れるため、毎回「久しぶりね」というリアクションが返ってくるそうです笑
昴さんにとって、祖母との触れ合いが、治療生活を頑張ってこれた原動力だったのかもしれません。
祖母との会話は、僕にとって宝物のようなもので、この治療生活8年の間、どれだけ笑顔をもらって、癒やされたか分かりません。家族みんなが祖母から笑顔をもらっています。
https://medical.jiji.com/topics/amp/1909?__twitter_impression=true
昴さんご自身のインスタでは、祖母とのやりとりを載せていました。
自分の人生を笑いに変える
世界の喜劇王、チャーリー・チャップリンの言葉で、瀬古さんのご長男の座右の銘だったそうです。
その時は辛くても、あとから振り返ったり、俯瞰的に見てみると、人の動きや心の動きは、まるでコントのようだったりするんです。
https://medical.jiji.com/topics/1909?page=2
そのため、どんなに辛いことやトラウマのような出来事でも、そこにツッコミを入れていって、笑いに変えるという作業を行なっていました。
他人のように自由に歩けたり、恋愛や結婚ができるんだろう、と羨ましい気持ちもあったそうですが、
笑い話にすることで、辛いことでも自分の中で消化できたそうなんです。
こんなにも辛い闘病生活で、こうやって切り替えられる精神力を持てたということは、
周りのサポートや愛もあったのではないかと思います。
祖母とのエピソードのように、本当に素敵なご家族だったと想像できますね。
瀬古利彦の次男:瀬古亜土武はミズノ勤務で妻は山本昌投手の娘
続いて紹介するのが、次男の亜士武さんです。
亜士武さんは、スポーツ用品会社「ミズノ」にご勤務されています。
元中日ドラゴンズの山本昌投手の娘と結婚!
そして同じミズノに勤務していた、元中日ドラゴンズの山本昌投手の娘・裕里加さんと2020年1月にご結婚されています。
社内恋愛で、3年ほど付き合ってのゴールインだったそうで、明治神宮で結婚式を挙げたそうです。
気になる奥さんの顔写真ですが、この方ではないか?と噂されています。
スタイルもよく、とても綺麗な方ですよね。
ちなみに2020年時点で29歳の裕里加さんですが、
実は2013年頃には結婚していてお子さんもいらっしゃるという情報もありました。
それが真実であれば、離婚してバツイチ、そして子連れだったということになります。
まあ、このご時世、こういったこともよくあることですよね。
瀬古利彦の三男:瀬古天哩は父と同じ陸上の道を目指した
4人の息子さんの中で、唯一父親と同じ陸上の道に進んだのが、三男の天哩さん。
元々、中学時代はサッカー部に所属していましたが、
父の瀬古利彦さんから「横より前に走ったら」というアドバイスによって、
高校から陸上競技への道に転向したそうです。
東海大浦安高時代では、800mでインターハイに出場。
という思いから、東海大学へ進学し陸上部に所属しました。
ところが、入部後は怪我を繰り返し、満足な練習ができなくなってしまいます。
思うようにいかなかった時期は、「瀬古の息子なのに」と陰口を叩かれたこともあったそうです。
そして、大学2年生の12月にマネージャーに転向し、駅伝主務を務めることになりました。
父の瀬古利彦さんからは「4年間はやり通せ」と、立場が変わったとしても続けるように説得されたそう。
当時は夢を絶たれ、
と家族の前で号泣したそうですよ。
2015年3月に大学を卒業。
卒業後は「ベースボール・マガジン社」に入社し、『陸上競技マガジン』の編集者になりました。
瀬古利彦の四男:瀬古聖醐は早稲田大学出身でバンドマン
四男の聖醐さんと見られる顔写真はこちら。
聖醐さんの名前でヒットするFacebookがありますが、
以下の理由により、ご本人であることには間違いなさそうです。
- 瀬古利彦と一緒に映る写真が掲載されていること
- 早稲田大学文化構想学部出身になっていること
- 自己紹介文に「そこらへんでは有名なセコです」とあること
そんな聖醐さんですが、高校で陸上部に入部しましたが、すぐに辞めてアメフト部に所属しました。
その後、早稲田大学に入学。
2020年11月の「深イイ話」放送時点では早稲田大学文化構想学部の大学生でした。
また、Facebookにはバンド関連の画像も上がっているため、大学時代はバンド活動をされていたのかもしれません。
@sekosubaru しょうごのバンド動画ちょーだい。
— 瀬古 天哩 (@Seko_ten) October 11, 2013
瀬古利彦の妻(嫁):美恵は保育園の先生
お2人の出会いは、お見合いでした。
奥さんの美恵(旧姓:渡辺)さんは、当時25歳で幼稚園の先生をされていたそうです。
1984年11月6日に婚約を発表されました。
そのため、2021年現在のご年齢は62歳前後になります。
長男の昴くんも映る若い頃の写真もありました。
とても美人ですよね。
三男の天哩さんも、
と絶賛するほどの美貌でした。
また、社交ダンスも得意だそうで、瀬古利彦さんと一緒に踊っているそうです。
遠目から見てもとても美しいのが分かりますね。
それにしても、夫婦で社交ダンスとは、とても仲良しなことが窺えますね。
まとめ
今回は、瀬古利彦さんのご家族についてまとめました。
4人兄弟が全員男の子で、
意外にも陸上の道を目指したのは、三男だけでした。
長男の病気のことなど、辛いこともあったご家族。
ご家族の絆はきっと深いことでしょう。