2005年、竹内結子さん(当時25)と歌舞伎役者の中村獅童さん(当時32)は、映画の共演をきっかけに結婚。
その後すぐに長男・太郎くんを出産しました。
そしてわずか3年ほどで離婚し、その後は太郎くんを竹内結子さんがシングルマザーとして育て上げて行きました。
長くは続かなかった2人の結婚生活。
そこには、中村獅童さんの不倫疑惑や梨園の妻としての務めなど、様々な思いが交錯していたように思います。
今回は、そんな2人の出会いから別れまでをまとめました。

竹内結子と中村獅童の馴れ初め
出会いのきっかけは映画での共演
2人の出会いのきっかけは、2004年10月に公開された映画「いま、会いに行きます」で夫婦役を演じたことでした。

【あらすじ】
秋穂巧(中村獅童)は妻の澪(竹内結子)を亡くし、6歳の息子・佑司と2人暮らし。
彼らは澪が生前に残した、「1年後の雨の季節に戻ってくる」というメッセージを漠然と信じて暮らしていた。
そして1年後の梅雨を迎えた日、森の奥にある廃倉庫で父子がいつものように遊んでいると、2人の前に忽然と澪が現れる。
2人の喜びも束の間、澪は過去の記憶を全て失っていてーー。
「出逢ったら必ず惹かれ合ってしまう、何度でも、何度でも」
どうかこの幸せな時間が永遠に続いてほしいと願ってしまう、そんな涙そそるストーリー。
予告を見るだけでも、涙が溢れてきます。
フィクションとリアルの区別がつかず、本当に好きになってしまうというエピソードは役者さんの中ではあるあるなのではないでしょうか。
竹内結子さんと中村獅童さんも、恋仲になるのに時間はかかりませんでした。
結婚会見の際、中村獅童さんは
「出会ってすぐにいい人だな、と。(2004年)9月ぐらいには結婚したい…と」
と語っていました。
映画の公開が2004年10月で、その1ヶ月前には”結婚したい”ということであれば、撮影中から付き合っていた可能性も十分ありますね。
双方がHPで結婚を発表し緊急会見!

2005年5月10日、中村獅童さんが出演中の東京・銀座の歌舞伎座で緊急会見を行い、竹内結子さんが妊娠3カ月であることを発表しました。
前日深夜、双方がホームページで唐突に結婚を発表したため、「妊娠した?」と見られていたため、想定通りだったみたいですね。
この時の会見は、以下のような内容でした。
- 1カ月前(2005年4月頃)に妊娠していることを竹内結子さんから打ち明けられた
- それを受けて双方の親に報告
- 「大切な人と一緒に生きていきたい」と新生活に踏み切る決意をした
- 来週にも都内の区役所に婚姻届を出す
今まで、2人の交際が表に出ることはありませんでしたが、短い時間でも作って会っていたそうですよ。
余談ですが、中村獅童さんは2003年頃、篠原ともえさんとの交際をスクープされたことがあります。

結婚間近とまで言われていたにも関わらず、破局。
破局の原因は、中村獅童さんの親から猛反対があったからなんだそう。
確かに、篠原ともえさんのキャラクターで梨園の妻となるのは想像つかないですね。
その当時、篠原ともえさんから竹内結子さんに乗り換えたのでは?とも噂されました。

長男・太郎くん誕生するものの幸せは束の間…

その後、2005年6月に結婚し、2005年11月には第一子である太郎くんが誕生します。

幸せな新婚生活を送っているかと思いきや、2008年2月に離婚してしまいます。
3年にも満たず離婚してしまった2人ですが、実際には同居生活は1年ほどだったと言います。
では、なぜ離婚に至ってしまったのでしょうか。
竹内結子と中村獅童の離婚理由
2人の離婚理由は、大きく3つあるとされています。
- 中村獅童の不倫
- 中村獅童の母・陽子との確執
- 竹内結子を悪者にした報道
一つずつみて行きましょう。
①中村獅童の不倫
2006年7月、中村獅童さんの自動車運転中の信号無視、および酒気帯び運転で警察に検挙されたことが発覚します。

そしてそれ以上に反感を買ったのは、車の助手席に座っていたのが、当時23歳の女優・岡本綾さんだったことでした。

当初、中村獅童さんは助手席に同乗していた女性を「知り合いの一般人」とコメント。
後から岡本綾さんだったということが発覚したのですが、彼女は実は中村獅童さんの元カノでした。
元カノと2人で会ってるなんて…と世間の目も厳しく、二人はかなりのバッシングを受けました。
さらに続くように、2006年9月に中村獅童さんと女優の高岡早紀さんの深夜デートも報じられたこともあり、2人の関係は完全に崩れてしまいました。

2006年10月、幼子を連れて竹内結子さんは家を出ていくことになりました。
2005年6月に結婚したため、わずか1年とちょっとの同居だったというわけですね。
別居後すぐに中村獅童さんに離婚届を送付したそうですが、子供の親権をめぐり対立し、離婚成立までは3年弱という月日が経ってしまいました。

②中村獅童の母・陽子との確執

離婚理由の2つ目の理由に、中村獅童さんの母・陽子さんとの確執もあったようです。
中村獅童さんの不倫騒動があった当時は、結局は竹内結子さんが許すのではないか、とも言われていたそうなんです。
「獅童は歌舞伎役者。歌舞伎役者は女性関係も“芸の肥やし”です。竹内さんも”梨園の妻”になったのだから、獅童を許すのでしょう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/561a7192745c04e1e97ab7b115cee605ac7d05aa?page=1
女性関係が芸の肥やしだなんて、おかしな話ですよね。
竹内結子さんはキッパリ離婚を選択しました。
離婚にあたって直面したのが、子供の親権。
歌舞伎界の跡取りとして中村獅童さんの母・陽子さんは、長男の親権を欲しがっていました。
ですが、竹内結子さんは「私がひとりで立派に育てます」と、シングルマザーの道を選んだのです。
というのも、元々竹内結子さんの幼少期は複雑な家庭で、自身も幼い頃に実母と別れて会うことができなかったため。

自身の子供に嫌な思いはさせたくないと選んだ道なのでしょう。
③竹内結子を悪者にした報道
一見、芯のしっかりした竹内結子さんの選択は正しい。
竹内結子さんがバッシングを受けることはない。
と思えますが、当時の報道は、以下のように竹内結子さんを責め立てるような報道ばかりだったのです。
- 歌舞伎役者の妻としての務めを拒んだ
- 長男を歌舞伎役者にすることに反対した
- 家事もできない
- 浮気される原因は竹内結子にある
さらには、離婚後も長男を中村獅童さんに会わせないようにしていると報じられたこともありました。
ですが、中村獅童さんは長男と定期的に会っていましたし、完全なフェイクニュースだったわけです。
では、なぜこのような報道がされてしまったのか。
中村獅童さんは、メディアの前に出ることも多く、あの人柄なので好感度も高い一方、竹内結子さんは本格派女優でフリートークがそれほど得意なタイプではありません。
報道陣の前に立つ機会も少なかったわけです。
結局、メディアが騒ぎ立てた悪いイメージばかりがついてまわってしまったようなんですね。

離婚後はシングルマザーとして
25歳で結婚・出産し、27歳で離婚。
38歳で中林大樹さんと再婚するまでの約10年間は、シングルマザーとして女優業に育児に奔走された竹内結子さん。
長男の食事はなるべく自分で作るようにしていて、旅先でもキッチン付きの宿を借りて料理を作ってあげていたそう。
教育にも熱心で、長男は難関私立中学にも合格しています。
また、親子2人で、台場にある日本科学未来館に行って寄り添う姿や、ディズニーランドでも見かけられたそうです。
竹内結子さんは、いろいろな思いを抱えながら、日々子供と向き合っていたのでしょう。
自身と同じような境遇にはさせまい、と必死に努力をされてきたのだと思います。

