橋本聖子さんは、オリンピックのスピードスケートで、日本人女子初の銅メダルを獲得した元アスリート。
参議院議員に5選し、2021年2月には東京五輪組織委員会の森喜朗会長の後継として就任しました。
そんな彼女のご実家はどんな家庭だったのでしょうか。
橋本聖子の実家の家族構成まとめ!
まずは、橋本さんの家族構成について紹介します。
橋本さんは、以下の通り4人兄弟の末っ子で6人家族。
- 父:橋本善吉(はしもと ぜんきち)
- 母:橋本慶子(はしもと けいこ)
- 長男:橋本善一(はしもと ぜんいち)
- 長女:高橋睦(たかはし むつみ)
- 次女:小熊あさ子(おぐま あさこ)
- 三女:橋本聖子(はしもと せいこ)
実家は、北海道で父親は牧場を経営し、牛の仲買商や競走馬を育成をしていました。
橋本聖子の父親・橋本善吉は牧場経営!
橋本さんの実家は、安平町で競走馬を育成する「橋本牧場」で、広さは東京ドーム20個分とも言われています。
かつては無敗の名馬「マルゼンスキー」を育てるなど競馬ファンにも知られています。
現在は、長男の橋本善一さんの息子さん・橋本善太さんが父の牧場を引き継いでおり、オーナー・馬主として活動されています。
父親は20億円の借金を背負っていた
父親の善吉さんは、2020年10月に老衰のため、96歳でこの世を去っています。
お父さんには、億単位ともいわれる借金がありました。
バブル期に競走馬を生産する牧場経営を拡大するため、「千歳信用組合」から16億円もの融資を受けたましたが、返済ができず、その影響もあって信組は1999年に破綻してしまいました。
翌年には、債権回収を行なう整理回収機構が、信組の元理事長ら4人を相手取り、3億円の損害賠償を求めて提訴しています。
「善吉さんは地元の名士であり、信組側も無担保で融資を続けていた。実際に訴状には『本件融資はおよそ許されざる融資である。それを敢えて融資したのは、橋本の倒産による貸付金の回収不能の顕在化を恐れたものであると言わざるを得ない』とありました」
さらに、橋本聖子さんの選挙資金と称して、知人から2,000万円を借り、一部を返済せず訴訟沙汰になったこともあります。
上記の訴訟について、2006年に週刊文春がスクープしているのですが、その際には
「父に借金が20億円以上ある」
と報じられています。
現在、その借金が完済されたのかは分かりませんが、相当な借金だったことがわかりますね。
厳しい時代を歩んだ父
そもそもなぜ北海道で牧場を経営していたかというと、それは橋本聖子さんの祖父の時代に遡ります。
橋本聖子さんの祖父母は開拓者で、父方は宮城県三本木町から、母方は奈良県十津川村から入植したそうです。
日本が貧しい時代、ナタで木を一本一本切って畑にして、北の大地で生き抜いてきました。
3人兄弟の次男だった善吉さんは、小学校も満足に通えず、幼い頃から行商など、ずっと労働を続けていったそうです。
「泣いても誰も助けてくれない。涙を見せる暇はなかった」
いかに厳しい時代を生き抜いていたかがわかります。
「何でこんな田舎に入植したのか」というお父さんの問いに、祖父は、
「今を考えて入植するのは、開拓者といわない、百年先を考えてここに入ったんだ」
と、応えたそうです。
祖父の先見の明がすごいですよね。
祖父が山奥を開拓した後は、そこに父親の善吉さんが牧場を作りました。
厳格な父親の虐待とも見える子育て方法
父の善吉さんは、子育てにはとても厳しい方でした。
父の善吉さん自身が辛い思いを経験してきたからだと思いますが、
「将来辛い思いをさせないために」という父親なりの思いやりだったのでしょう。
ですが、端から見ると虐待とも取れるようなエピソードもありました。
- 挨拶の時は、正座をして三つ指をつかなければいけない。
- ご飯を給仕して父に手渡すときは、必ずお茶碗に両手を添えて渡さなければ許されない。
- 胃薬でも父が薬のビンに手をかけた間に、水の入ったコップを出さないと強い口調で怒られる。
- 外出した父が帰宅した時は、家族は急いで外に出て、ガレージの扉を開く。父の運転する車が一度も止まらずに、ガレージに入れなければ怒られた。
- 「ヤキを入れる」と家族に手を上げていた
さらに、怒られた時には
「バカヤロー!!何やってるんだ!!」
睨み付けてくるそうで、恐怖を感じたそうです。
父は、絶対に妥協を許さない人で、出来て当たり前のことができない時は、汚い言葉で叱責されたり、時には言葉の前にいきなり手が出て殴られることもあったそうです。
ちなみに、ご家族が「お父さん止めて」と助けに入ると連帯責任で
家族みんなに父のヤキが入るのだそうです。
そのため、橋本さんは、お父さんに対して微塵も反発心が起きなかったそうです。
オリンピック選手に育てるために鞭で叩いたり池に放り込む
橋本さんを「聖子」と名付けるほど、オリンピック選手にしたかったお父さん。
反射神経や感覚を身につけるために、幼稚園に入る前からポニーで乗馬訓練をしていたそうです。
父は聖子と名付けたぐらい、私をオリンピック選手にしたかった。将来、どんな競技をやるにしても、オリンピック選手になるための反射神経や感覚を身に付けさせるためには、馬に乗ることがいいだろうと。牧場の馬場で私は幼稚園に入る前から、ポニーという小さな馬で乗馬の訓練をしました。
ちょっとでも橋本聖子さんが油断をすると、お父さんがいきなりポニーに鞭を入れ、
驚いたポニーは思い切り走り出す→それでも落馬しない
そんな訓練をずっとやらされていたそうなんです。
落馬すると、お父さんに激しく叱られ、鞭で叩かれることもあったそうです。
そのおかげか、小学校に上がる前から、ロデオのような荒馬でも落ちずに、しがみついていることができるようになったんだとか。
また幼少期に
「補助輪をはずしても、自転車に乗れるのか?」
とお父さんに聞かれた際、橋本聖子さんは「乗れます」と答えましたが、実際にやってみると、うまく乗れませんでした。
その瞬間、お父さんは幼い橋本さんを、薄氷の張った池に放り込んだというエピソードもありました。
彼女にとって、
こんなふうに育てた覚えはない。
とお父さんに思われることが、1番嫌なことだったそうです。
自分にも他人にも厳しく
家族や従業員に対してとても厳しいお父さんですが、自分にも厳しい方でした。
「自分が出来ないことを厳しく言っても、人はついて来ない」
という考えを持ち、馬の扱い方に一つとっても、お父さんは誰にも負けない技術を持っていました。
新米の従業員だと暴れ馬は言うことを聞かないのですが、お父さんが手綱を持った瞬間、どんな暴れ馬でもピタッとおとなしくなり、何でも言うことを聞きました。
朝は3時ぐらいから牧場に出て自分も走り回り、馬場で馬のトレーニングをしたりと、
人に厳しい分、自分に対しては、それ以上に厳しい姿勢で生きていたそうなんです。
きちんとできたときは褒める
庭で飼っているガチョウの世話や畑仕事の手伝い、厩舎の掃除等々、幼い頃からしなければならない仕事もたくさんあった彼女ですが、しっかりした仕事ができていると
「よくやっているな」
とお父さんが一言声をかけてくれる時もあったそうでう。
普段厳格な父に喜んでもらえたことが、何より嬉しいことだったと語っていました。
とても厳しく育てられている中でたまに褒められれば相当嬉しいことでしょう。
自分も頑張らなきゃ
と自然に思うようになっていきますよね。
橋本聖子の母・橋本慶子は優しいお母さん
父に叩かれても3歩後ろをついていく
お父さんに一切逆らわず、父の後を三歩下がってついていくタイプのお母さん。
ときにはお父さんに叱責され、叩かれることもあったそう。
叩かれた原因は、橋本聖子さんにあったのではないかと、申し訳ない気持ちにもなっていたそうです。
そんなお母さんは、牧場と子供たちだけのために生きた、慈しむ気持ちが強い人柄でした。
割烹着姿で台所に立っている時も、モンペをはいて畑仕事をしている時も、学校から帰った私を笑顔で迎えてくれる時も、私にとって母はいつでも不思議なぐらい優しい存在の人でした。
従業員からも「母さん、母さん」と慕われていたそうです。
の人たちからもそう呼ばれ、慕われていました。
泣ける時は泣いたほうがいい
叱られても辛くても、涙を流すことが許されなかった橋本聖子さんに、お母さんは
「泣けるうちは泣いた方がいい」
「人間っていうのは、本当に悲しかったり辛かったりしたら、涙が出ないもんだ」
と語りかけたと言います。
幼いある日、お母さんに甘えたくて、「ウェーンウェーン」と駄々をこねるように泣きじゃくった時も
「もっと泣ける、もっと泣ける」
と、泣き疲れるまで笑顔で応援してくれたのがお母さんでした。
橋本聖子の4人兄弟の現在の職業は?
前述の通り、橋本聖子さんには4人兄弟の末っ子。
長男:橋本善一(はしもと ぜんいち)
長女:高橋睦(たかはし むつみ)
次女:小熊あさ子(おぐま あさこ)
三女:橋本聖子(はしもと せいこ)
とても厳しい家庭に育った彼らですが、現在は何をされているのでしょうか。
長男・橋本善一は牧場を引き継ぐ
長男の橋本善一さんの息子さん・橋本善太さんが父の牧場を引き継いでおり、オーナー・馬主として活動されています。
橋本善一さんは、顔画像が出てきませんでしたが、息子さんと思われる方の写真はありました。
橋本聖子さんにとっては、甥っ子に当たりますね。
なんとなく雰囲気も似ている気がしますね。
長女・高橋睦は元衆議院議員の高橋辰夫の妻
高橋聖子さんの1番上のお姉さんは、元衆議院議員の高橋辰夫さんの奥さん。
高橋辰夫さんは、2001年10月11日死去しています。
72歳の若さでした。
次女・小熊あさ子は橋本聖子さんの政治活動を手伝い
次女の小熊あさ子さんは、橋本聖子さんの政治活動をお手伝いしているそうです。
2013年、自由民主党札幌中央区連合支部定期総会では、橋本聖子さんの代理として出席されていました。
まとめ
今回は、橋本聖子さんのご実家についてまとめました。
想像以上に壮絶でしたが、だからこそオリンピック選手として活躍できたのかもしれませんね。
ご兄弟も活躍されているようですし、とても素晴らしいご家族かと思います。