2020年8月25日、2025年の大阪・関西万博のシンボルとなるロゴマークが発表されました。
デザインは、シモダタモツさんが代表を務める、「TEAM(チーム) INARI(イナリ)」のデザイン。
ネットでは、デザインがなんとも独特で話題になっています。
今回は、ロゴマークを作成したチームイナリ代表のシマダタモツさんのプロフィールをまとめてみました。
【顔画像】シマダタモツのwikiプロフィール!大学や経歴!
https://twitter.com/1010salt/status/1298175776781504512/photo/1
名前 | シマダタモツ(嶋田保) |
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生年月日 | 1965年(2020年数え年で55歳) |
事務所 | 有限会社シマダデザイン代表 |
幼少期はやんちゃな子供だった
シマダタモツさんの幼少期は結構やんちゃだったそうで、母親は学校に何回も呼び出されたそうです。
父親を早くに亡くし、シングルマザーの母親が喫茶店を営み家計を支えていました。
1970年の大阪万博では、『太陽の塔』を見て衝撃を受け、岡本太郎さんのようなオリジナリティー溢れるデザイナーを目指すようになったそうです。
こうしてみると、2025年の大阪万博でのロゴマーク採用は、シマダタモツさんにとっては長年の夢が叶ったような出来事なのかもしれません。
デザイナーの道へ
高校卒業後は、デザイナーを目指して専門学校に入学したようです。
そのため、大学には進学していないようですね。
専門学校では、
矢印を100個書け
といわれて納得できずに1年で中退しました。
その後、母親の喫茶店の客の紹介で、グラフィックデザイナー松江寛之デザイン事務所に入ることに。
ところが、その3年後に事務所が吸収されることになり、師匠が雇われる姿を見たくなかったので退職。
その後、ミヤさんと呼ぶ師匠と出会い、鍛えられたそうです。
このミヤさんという方は2014年頃に亡くなっています。
1992年の27歳の時に『嶋田デザイン事務所』を設立して独立しました。
当時は、店のロゴを依頼されると「俺の自由にさせてくれ。その代わりカネは要らん」が口癖で、見たことないものを作ることを目指してました。
大阪万博のロゴマークもかなり独特ですし、こういった思いが反映しているのかもしれません。
2004年の39歳の時に『有限会社シマダデザイン』を設立。
「人に喜んでもらいたい」想いを創作の原動力に、メーカー、公共イベント、店舗など、さまざまな分野のデザインを手がけました。
2009年には、世界の優秀な広告デザインに贈られる「ニューヨークADC賞」で金賞を2部門受賞。
嬉しさのあまり、授賞式で号泣しています。
2001年 全日本DM大賞金賞、
2002年 日本産業広告総合展銀賞、
2003年 ディスプレイデザイン大賞/朝日新聞社賞、
2004年 NYfestival金賞、
2009年 全国カタログ・ポスター展カタログ部門経済大臣賞/金賞/審査員特別賞、NYADCポスター金賞、NYADC図録金賞
2010年 NYADCポスター銅賞、竹尾賞審査員賞
他受賞歴および入選歴多数。
デザイナーに必要な仕事は「気配り」
シマダタモツさんのインタビューの中で、
グラフィックデザイナーという仕事に必要なのは何か?
という質問に対し、
「気配り」
と回答しています。
「クライアントさんが何を思ってるかとか、気付くことが大事。お客さんにコーヒー2杯出すのでなく、2杯目はお茶出すとか。こういうところに人間性がめっちゃ出る」
今までの話を聞いていると、斬新なデザインを作ることだけに注力しているのかと思いきや、相手のことを汲み取って気配りをされていることがわかりました。
そういった人間性が逆に斬新なデザインを生み出せるのでしょうか。
シマダタモツの作品まとめ!
2020年大阪万博ロゴマーク
2025年開催の大阪万博のロゴマークを手掛けました。
この斬新なデザインはかなりのインパクトを与えて、ネットでも話題に。
2019年
2008年朝日放送ロゴ
2007年 焼肉ノ、シアンロゴ
まとめ
今回は、シマダタモツさんの経歴やプロフィールについて調査しました。
大阪万博のロゴマークがかなり斬新なデザインでしたね。
2025年の大阪万博が今から楽しみです。