2021年の「おもしろ荘」で、お笑いコンビ「ダイヤモンド」が見事優勝しました!
コンビ歴3年目ということですが、これからの活躍がとても楽しみですよね。
今回は”イケメン”と言われる、ボケ担当の小野竜輔さんの生い立ちや経歴について調査しました。
ダイヤモンド小野竜輔の生い立ちまとめ!
2017年に相方の野澤輸出さんと「ダイヤモンド」を結成するまでは、紆余曲折ありました。
幼少期はわんぱく少年
幼少期の頃の小野さんはというと、絵に描いたようなわんぱく少年でした。
幼稚園の時に大人気だった積み木の使用権は小野さんにあり、勝手に使おうとする子には怒り狂うほどのガキ大将。
また、幼稚園の先生の胸を触るなど、かなりわんぱくだったようです。
小学校に上がると、空手を習い始め、”喧嘩も自分が最強”だと勘違いするように。
その後、小学校3年生の時に転校をすると、転校生ブーストもかかり、かなりモテまくったそうです。
スクールカースト上位の中学・高校時代
中学生では、ヤンキーやギャルともいい感じに接することができ、スクールカーストでも上位にいたようです。
そして高校時代は、ご自身で言っていましたが、
人生のピークと言っても過言では無いほど濃い高校生活を送ったそうです。
小野さんの通っていた高校は、山口県立宇部中央高等学校。
偏差値は49とそこまで高くは無いものの、ネットの口コミでは多くの方が”漫画みたいな青春が送れる”と絶賛。
一般的な高校の学年性ではなく、単位制高校で、本人の希望と目指す進路に適した授業を効果的に受けることができます。
例年、女子の比率が高い。
制服が可愛いというのもあり、女子人気の高い高校のため、小野さんの学年は200人中女子140人男子60人でした。
かなりのハーレム状態だったようで、イケメンな小野さんですから、さぞかしモテたのでしょう。
その中で、
- テニス部の副キャプテン
- 生徒会の副会長
- 文化祭のMC
などを務め、めちゃくちゃ青春を楽しんだそうです。
想像するだけで、とても楽しそうな様子が浮かんできますね…!
ところが、その変わり勉強は全くしていなかったため、現代文以外は軒並み赤点と、成績はとても悪かったそうです。
そんな中でも、国公立大学にいこうとしていた小野さん。
最終的には大学への進学を諦めて、芸人への道を志すようになります。
お笑い芸人を目指したきっかけ
結局、ずっと勉強をしなかったため、行きたい大学の模試は全部E判定以下でした。
そんな中、高校3年の秋の行った三者面談で、担任に
「吉本いったら?」
という言葉をかけられたそうなんです。
芸人という選択肢は、小野さんの中に今まで全くなかったそうですが、それを鵜呑みにして
そのままお笑い芸人になることを決意したそうです。
当時、別におもしろいことをしたり言ったりするタイプではなかったということで、本当にノリと勢いで決めたということなんですね。
小野さんにとっては、
もう勉強しなくていいし残りの高校生活も遊べるラッキー
くらいにしか思ってなかったそうです。
高校卒業後はNSC大阪32期生に
高校卒業後、山口県から大阪のNSCに入学し、以下のコンビを組んでいました。
- スタンドラン(同じ高校の1個上の先輩で生徒副会長の方が相方。入学したらたまたま遭遇したそうです。)
- ドランベヤン
- アシンメトリー(ドランベヤンに1人メンバーが加わりトリオに)
- 乱心レボリューション
- 竹本・小野(のちに鋼丸)
色々な方と組んでは解散をしていたようですが、
NSC時代最後に組んだコンビ「竹本・小野」は、相方の竹本さんという方に小野さんからラブコールを送った形で、コンビを組んでからはかなり真剣に頑張っていたようです。
相方の竹本さんの才能に惚れ込み、コンビを組みたいと切望した小野さんは、竹本さんが前のコンビを解散したところで、声をかけました。
ところが、竹本さんがそれを承諾せず、フラれ続け、
5回目くらいで
「竹本くんがコンビ組んでくれんかったら田舎帰る。」
と泣きの一手で竹本さんを落としました。
その後は、東京と大阪の同期で戦う東西対抗戦の大阪選抜にも選ばれ、順調に成績も残していましたが、NSC卒業の翌日、絶望の淵に追い詰められる事態に。
いつものネタ合わせ場所に呼ばれた小野さん。
相方の竹本さんは5分遅刻してきてすぐに、
「芸人やめるわ。今まで付き合ってくれてありがとう。じゃあ。」
とだけ言い残し帰っていったそうです。
その後は、竹本さんに連絡をしてもまったく繋がらず、現在何をしているのかもわからないそう。
小野さん自身も1人ではいられないくらい冷静ではいられなかったようです。
卒業の翌日で、これから頑張ろうという時期に
このような状況になるなんて本当に辛いですよね。
ダイヤモンドを結成するまで
現在の相方・野澤輸出さんとダイヤモンドを結成するまでは、2つのコンビを組んでいました。
アルドルフ
2010年10月1日に結成し、2016年3月31日に解散。
NSC大阪校32期生同士のコンビでした。
初代奈良県住みます芸人として活動し、2014年に拠点を東京に移していました。
当時、若い女の子からの支持もあった中、2016年に突然の解散となってしまいます。
解散理由は明かされていませんでしたが、決まっていた公演もキャンセルになったということでいきなり決まったということなのかもしれません。
セクシーパクチー
2016年5月に結成し、2017年4月30日解散。
こちらは、わずか1年足らずのコンビでした。
コンビを命名したのは、NON STYLEの石田明さん。
こちらも解散理由は明かされていませんでしたが、相方の山口さんから解散を告げられたそうです。
相方・野澤輸出とコンビを組んだ理由
その後、2017年7月21日にダイヤモンドを結成。
実は、野澤さんが東京NSC15期生、小野さんが大阪NSC32期生と東西は違うものの”同期”だったそうです。
小野さんはアルドルフ時代に東京進出していますが、その際に東京の同期のネタも見ておこう、ということで動画を見たそう。
当時、野澤さんは「エレーン」というコンビを組んでいたのですが、そのネタが衝撃的で、
と思ったそうなんです。
東京進出後は、野澤さんと積極的に関わり合い、仲良しに。
野澤さん自身は、エレーンを解散し、ピンで活動していました。
そんな中でのセクシーパクチーの解散。
小野さん自身、当時のコンビを解散したらお笑いを辞めようと決めていたそうですが、どうしても諦められないということで、野澤さんにコンビを組んでほしい、と伝えました。
最初は、
「実はちょうど今日ピン芸人でやるって意志固めた」
と断られましたが、野澤さんが思い直し、見事コンビを組むことに成功しました。
その後は、M-1グランプリやキングオブコントに準々決勝に進出したり、2021年の「おもしろ荘」で優勝するなど、今ノリに乗っているコンビとなりました。
まとめ
今回は、ダイヤモンドの小野竜輔さんの生い立ちや経歴について調査しました。
高校を卒業してから、ノリで入ったというお笑いの世界。
紆余曲折あったものの、今後はテレビでも活躍すること間違いなしですね。
見た目もよく、色々な仕事が舞い込みそうですね!
今後が楽しみです。