M-1グランプリの2020年ファイナリストとなったお笑いコンビ「錦鯉」。
歴代のM-1で最年長という彼らは、今までの長い下積み時代がありました。
そんな彼らのツッコミ担当・渡辺隆さんの生い立ちは想像以上に切ないものでした。
錦鯉・渡辺隆の生い立ちが泣ける!
2020年現在42歳という、渡辺さん。
今でこそ、テレビで見るようにもなりましたが、それまでの道のりはとても険しいものでした。
幼少期の頃から振り返ってみます。
幼少期は野球少年!
渡辺さんの住まいは江戸川区で4LDKの一軒家。
代々この地に住んでいるそうです。
近くには、「あけぼの湯」という銭湯があるようです。
幼少期の渡辺さんは野球少年。
小学校から野球をやっており、チームでレギュラーにもなっていたそう。
ちなみに現在グローブはありますが、ほとんど野球はしていないそうです。
大学を中退して芸人になることを母親が反対
渡辺さんは、中央学院大学に進学しますが、中退しています。
中退した理由は明かされていませんが、本来の普通に卒業年したら2001年には卒業します。
1999年にNSC5期生になっているので、やはり芸人になるために中退の道を選んだのかもしれません。
これに大反対したのは、母親でした。
渡辺さんが芸人になることを伝えると、お母さんが大泣きしながら
「勘弁して。芸能界はダメ」
と訴えたそうです。
親からしてみれば、安定した仕事に就いてほしいと願う当たり前ですよね。
お母さんの気持ちは痛いほど分かります。
母親の突然の死と父のトラウマ
芸人になって2年目の2000年、お母さんは突然の交通事故により亡くなりました。
トラックに敷かれ、即死だったそうです。
当時、お父さんはトラックの運転手をしており、その知らせを聞いた際は
信じられない思いでお母さんのもとに向かいました。
到着した際、お父さんは興奮状態で、危険と判断した警察によって
お母さんの亡骸を見ることはできなかったんだそうです。
お母さんの状態は悲惨で、お父さんが興奮状態で何をするかわからない、と判断したためだったようです。
それからのお父さんは、トラック運転手であるにも関わらず、運転することができなくなってしまいました。
そのため、廃車処理の部署に異動になりました。
また、横断歩道を直視することもできなったということで、事故のトラウマが続いたようです。
渡辺さんが20年間、諦めずに芸人を続けたことは、亡きお母さんに活躍する姿を見せてあげたかったというのもあるかもしれませんね。
20年間の長い下積み時代
20年間の長い下積み時代は、いろいろなアルバイトを経験しました。
コールセンターやコンビニのバイト、
直近では、青果市場の野菜の仕分けのバイトで、朝6時から仕事をしていたそうです。
そこで月収11万~12万円を稼いでいました。
また、2019年の芸人としての年収は32万円だったそうです。
このような長い下積み時代を見てきたお父さん。
渡辺さんのことを「我慢強い。真面目」と語ります。
芸人を辞めたいと言ったこともなかったそうですよ。
本当にすごいですね。
息子が自慢
現在でも、実家でお父さんと2人暮らしという渡辺さん。
お父さんは、息子がM-1の決勝に進んだことを嬉しそうに語っていました。
「面白かった。他の人間よりもね。親のアレ(欲目)でね」
当時のカレンダーも大事に取ってるそうです。
渡辺さん自身、独身のため
「ここまで来たら、オヤジとずっと住もうかな」
「オヤジが死ぬまで、仲良く暮らせればいいなとは思っています。支えてもらって、感謝しかないです」
と父への親孝行を語っていました。
お父さんからすると、早くお嫁さんや子供を見せてほしい
という気持ちもあるかもしれませんが、こうして「一緒に住んでいこうと思う」と言われるのは
とても嬉しいことでしょうね。
本当に素敵な親子関係でした。
これからどんどん活躍するのが楽しみですね。
まとめ
今回は、錦鯉のツッコミ担当・渡辺隆さんの生い立ちや苦節20年を振り返りました。
2020年のM-1決勝進出は、芸人になることを反対され、そのまま他界されたお母さんに1番見てもらいたかったのかもしれませんね。
2021年のM-1も挑戦されるかもしれませんし、今後の活躍が期待されますね!
青果市場のアルバイトが辞められるよう、頑張ってほしいと思います。